岸和田市でFW

テーマは歴史・文化資源の発信

「まちを視る」分科会 主査 茂福隆幸(寝屋川市)

 「まちを視る」分科会は10月11日、フィールドワークを行いました。今回は友田様と岸和田市産業部理事(府から出向)の藤本様の紹介で、「まち歩き」をとおした岸和田市の歴史・文化的資源の発信をテーマに、「城」と「だんじり」で有名な岸和田市を訪れました。案内は岸和田本町のまちづくりを考える会のメンバーで、岸和田ボランティアガイドの行(ゆき)氏にお願いしました。 岸和田市は2004年に「まちと個性」分科会で、「町屋利用によるまちなみ保全を通じた地域コミュニティの取組み」をテーマとして、町屋光輪庵と本町の街なみ保全地区を訪れて以来、2回目の訪問となります。

 今回の参加者は10人で、南海「蛸地蔵」駅で待ち合わせをしました。「蛸地蔵」駅は岸和田駅の次駅、大正14年に築かれた南欧風の駅舎で、天窓には蛸地蔵物語のステンドグラスがはめ込まれてあり、建築物としても貴重な駅舎です。開始早々、ガイドの行氏から駅、お城、堀、歴史の紹介など、次々と興味深い話しを聞いた後、いざ「まち歩き」をスタート。

●3000坪の回廊式庭園「五風荘」

 初めに「五風荘」を訪れました。ここは旧岸和田城内の薬草園の跡地などに昭和4年から10年の歳月をかけて築造された約3000坪の回廊式の日本庭園です。雨上がりの日本庭園は緑が映えて本当に綺麗でしたし、日本建築の母屋と3つの茶室も立派でした。昭和初期の建築ですが、各部屋には空調設備(現在で言いますとセントラルヒーティング、ボイラー室の煙突が蔵から突出していた!)が整っており、(今回は見られませんでしたが)いくつもの地下室、洗面台にはさりげなく大理石が敷かれています。また、今回は特別に岸和田市観光振興協会の松井事務局次長の計らいで、2階建てのりっぱな蔵の中まで見せていただき、ここだけでも一見の価値は十分にありました。

●岸和田のシンボル「岸和田城」

 次に訪れたのは「岸和田城」です。大阪府の城下町は岸和田市と高槻市で、岸和田城は大阪の南の守りで、高槻城は北の守りとして大きな役割を果たしたとのことです。岸和田城はいつ、誰が建てかは定かではないよ うですが、戦国時代末期には松浦氏の居城となってお り、その後、豊臣の時代に秀吉の叔父の小出秀政が城主となり、城下町と城郭と天守閣を築造しました。その後、岡部氏が入城し明治維新まで13 代にわたって岸和 田藩5万3千石を治めました。1827 年に落雷により天守閣は焼失し、以後長らく再建されませんでしたが、昭和29 年に鉄筋コンクリート造三層の天守閣が再建され、 昭和44 年に城壁と櫓が再建されました。現在、ギャラリー・各種イベントに活用し、観光振興の拠点として活用され、岸和田市のシンボルとなっています。

 こなから坂から本町の街並み(紀州街道)を通り、まちづくりの館で休憩し、天性寺(蛸地蔵)を訪れたあと、 だんじり会館を見学、ミーティングを行いました。

 本町・紀州街道は江戸時代に最も賑わった通りで、現在でも本瓦葺き、中二階、出格子などの伝統的な造りの家並みが残り、国の街なみ環境整備事業などを活用し、 町屋の修景に取り組んでいます。市から支給された材料 (木板)をまちの人々の手でブロック塀に取り付けて「板塀風」にした事例等、模範的な地域と市の協働のまちづくりであり、これからの発展が期待されます。また、今 後の観光化を考えるのに重要な要素であると思われまし た。残念ながら4 年前に訪れた町屋光輪庵はなくなっていましたが、その後に子供さん夫婦が戻って住まわれているとのことでした。

 天性寺蛸地蔵の由来の紹介は紙芝居的に話していただきましたが、岸和田の戦の歴史を物語っており、なかなか興味のある話でした。

●だんじり会館で意見交換会

 最後のだんじり会館では、迫力のあるだんじり祭りの映像や江戸期以前の古いだんじりの展示などを見学し、 だんじりのまち岸和田を再認識することができました。 見学の後、1 階会議室で岸和田ボランティアガイドの吉 野会長や永谷様を交えて意見交換を行ないました。地元 の方々からは岸和田市の歴史や文化について、ボランティアガイドの育成や目指す方向、本町のまちづくりの現状と問題点などについて意見が出され、また、参加者 (CDK会員)からは視察の感想、観光・まちづくりに対するハード面とソフト面からの問題点、提言について意見が出され、お互いに活発な意見交換を行なうことが できました。

 FW終了後には、恒例の「懇親会」を行いました。今 回は地元の方3 名もご参加頂き、お酒も入ってFWの感 想や意見交換など会話も弾み、宴たけなわのなか散会となりました。


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