プロジェクト研究会「関西の鉄道をつくった男達」
〜最後の大鉄局長・草木陽一氏に聞く〜
物流から見た関西・鉄道の始まり(上)

 地域デザイン研究会のプロジェクト研究会では、2年ほど前に大阪駅の地盤に関連してJROBの星野鐘雄氏に講演していただいた。星野氏の紹介をいただき、今回は最後の大鉄局長であった草木陽一氏(西日本鉄道OB会顧問)に講師をお願いし、1月27日に大阪キャッスルホテルで「物流から見た 関西・鉄道の始まり」をテーマに講演していただきました。講演の要旨を2回に分けて連載します。

 私は、西日本鉄道考古学会の活動として「鉄道廃線跡を歩く」「鉄道記念碑を見る」といった活動をしている。その中で多くの資料が集まっているので、その資料を基に「関西の鉄道の始まり」といった内容で話をする。私は大阪市立大学を卒業してすぐに国鉄に入った。当時の国鉄は、出身地には配属させないということで、27年間、ほとんどが東京勤務であった。最後に40日ぐらい、大鉄局長に赴任した。

●関西の鉄道の始まり

 明治の初め、関東に遅れること2カ月余で鉄道建設に向けた測量に着手した。明治16年4月末現在の日本の鉄道網図を見ると、鉱山鉄道と位置付けられる北海道の路線と、新橋−横浜、神戸−大阪、大津−金崎、などで250km。北海道を除くと160kmぐらい。そのほとんどが関西(8割方)であったのは、特筆すべきことであった。

 明治2年頃、明治政府として産業の振興の手段として鉄道網の整備を図ることとした。

 整備の優先順位として、東西両京と開港場を結ぶ線路、東西両京を結ぶ幹線、琵琶湖畔と敦賀を結ぶ路線。この3つの路線が鉄道計画として建議されている。

 昔(徳川時代)は、北海道と商業の中心地を結ぶ路線が非常に重要であった。当初は、北海道もしくは東北からの物流は海路、敦賀、あるいは若狭に来て、そこから陸路で琵琶湖畔まで来て、琵琶湖を船で大津まで来て、大津から京都までは陸運、そこから淀川で大阪まで来るというルートが日本の最大の物流ルートだった。

 ある時期から北前ルートを通って、瀬戸内海に入って、京阪神まで船で運ばれるということになった。鯖街道の途中にある熊川宿(今でも観光地として建物など紹介しているが)は、いったん滅んでしまう。ごく一部の「紅華」(おしろいに使う特産品が秋田で出来る)のような貴重なものは、これを運んできて、京都でおしろいにして売る。高級なものは、間違いなく船のルートで若狭にきて、そこから人肩または馬の背で、京都まで運んだ。米のような重いものは、船がぐるっと回って運んでくれるということになれば、そちらの方が経済コストは安いということになった。

 これが徳川時代の日本の経済を支えた。当時の日本の人口は3,000万人ぐらいだった。

 明治維新になって、重要な3ルートの内の1つに敦賀〜琵琶湖〜大津〜京都〜大阪〜神戸のルートが計画されたのは、陸路の復活ということだった。このことのおかげで、関西は鉄道王国たりえたと思う。

 東海道本線は明治22年に全通するが、それまで米原から大津までは線路が出来ていない。琵琶湖の船運によって物流が確保され、乗り換えて大津〜京都というように運ばれた。膳所の駅が元々大津の駅だった。膳所からスイッチバックして、今の京阪の浜大津が当時の鉄道のターミナルの駅だった。そこから長浜まで、琵琶湖の汽船でモノ・人が運ばれた。

 長浜の駅は今でも煉瓦造りが残っている。京都の太湖汽船がその間を結んだ。その子孫は京阪の汽船になっている。あの汽船の歴史を見ても物流の歴史がある。一番はじめは鉄道から委託されて、大きな汽船を3隻ほど作り輸送する。明治22年に鉄道が開通したらご用がなくなってしまった。

 この汽船は、その後どうしたかというと、まず琵琶湖内の港間で細々とした輸送をやった。また、陸上交通のバスが進歩してきて、近江鉄道も敷設される。結局は、琵琶湖の船はビアンカ、ミシガンのような観光船として生き延びることとなった。

 世の中というのは、絶対安泰ということはないとつくづく思う。鉄道でも同様なことが言える。

●鉄道40年周期説

 鉄道の歴史を見ると、40年が1つの周期となっている。

▽1872年(明治5年)10月14日 鉄道開業(民間主導)
 すぐに西南役となり、軍事輸送に使われた。
 明治30年代の後半になって、日露戦争が起こった。まだ、広島まで開通していなかった。三原ぐらいまでだった。大本営を広島に設けて、宇品から兵隊を大陸に送った。(司馬遼太郎の本に書いている)
 当時は、軍事力に利用するということがあって、国有化ということが起こった。

▽1906年(明治39年)3月31日 国有化法公布 34年目

▽1948年(昭和23年)12月20日 日鉄法公布 42年目(公共企業体となった)

▽1986年(昭和61年)12月4日 国鉄改革法公布 38年目(分割民営化)
 民営になって、どうなったか。例えば京都の駅ビル、これは民営になっていなければできなかった。電車の車両も新規は東京がはじめで、地方には回ってこなかった。民営になって、地域からお金をもらって、いかに地域のためにサービスして生きていくかということで、自由に考えて新しい車両も導入できるようになった。また、駅の開発もできるようになった。
 鉄道輸送では、大事故も多く起こっている。安全には十分気をつけないといけない。しかし、自動車輸送や、航空輸送に比べると、エネルギー消費量も少ないし、安全性も高いので、これからも大切にしなければならない。

▽2025年頃?
 民営化されて早や20年が経つ、前述の40年周期説でいくと、20年後にどんなことが起こっているか想像も出来ないが、鉄道が社会にとってあらねばならない交通手段であることに変わりはないと思われる。これからはもっとローカルなものを生かした地域密着が重要なテーマになると思われる。例えばLRTなどは楽しみな方向の1つと考える。 (次号に続く)


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