MEMBER'S SQUARE

悠悠録

偽善者

平峯 悠

昔々高校生であったころ、何の映画かは忘れたが、「hypocrite(ヒポクリット)=偽善者」とののしる場面があり、その発音が妙に印象に残ったことを覚えている。嘘つき(liar)と並んで人間として品位のない人に対して使われた言葉であった。

「偽善者」というのは、善人を装いつつ陰では悪い行為をするというのが一般的であるが、ここでは偽善者とは自らの価値観が最も正しく、それに反対する行為や事柄、物事を批判非難する、実際には正しいとは言えないことを、さも正しいように言い募るのを偽善者とする。最近、昼間のワイドショーや報道番組をよく見るようになり、いわゆるコメンテーターやマスコミの言動に偽善者という評価をしたくなる人の多いことに気が付いた。特に、「憲法改正は戦争につながる」とか「日本でしか通用しない平和論」、「悪と決めつける核・原発問題」「差別と区別を履き違えた弱者問題や人権」さらに「格差があることを認めない社会論」などの問題で偽善者と決めつけたくなる人が目に付く。またマスコミ、ジャーナリスト、一部の学者は、政府の諸活動をチェックし政府の暴走を防止するという役割に自己陶酔し、政権に反対すればよいといった姿勢が目立つ。

人々は自らの価値観によって世の中を批判・同調することが多い。その価値観は時代の風潮により、また年齢層によって異なるのは当然ではある。それを自覚した人たちは自ら研鑽に努め、偏った判断をすることがなくなるよう努力する。これが年輪を重ねたその人の見識となる。年齢80 歳以上の戦争体験者は、戦勝国アメリカにより、日本は劣った民族で「精神年齢は12 歳」と洗脳を受け、贖罪意識や自虐史観に呪縛されてきたが、日本の歴史や自然観・秩序観を振り返り呪縛から脱却することができた人が多い。しかし未だに引きずっている人もいる。バブル崩壊でその恐ろしさを体験した人たちは、地価が上昇するとバブル到来と批判する。東西冷戦時の米ソの核兵器競争では「よい核と悪い核」があるなど日本の原爆被害を変な議論に持っていく偽善者も存在した。公共事業や都市計画においても、無駄や利権が世の中で話題となったころから「公共事業は悪である」また行政・役所が行う事業は無駄という偽善者が多く出現した。その歪な価値観を持つ人は、まちづくりは国や自治体が進めるよりも市民住民による方が誠実で正しいという、これも偽善である。現在の公共事業における人手不足も偽善によって引き起こされた結果かもしれない。

加地伸行阪大名誉教授は、「マスコミ偽善者列伝」(飛鳥新社H30.8)」の中で、建前を言い募る多くのマスコミ、コメンテーター、学者をコテンパンに酷評している。加地氏は齢82 歳で哲学者として社会を見つめてきた人だけに、「大人の見識」を持ち偽善を見抜いている。私にとっても若き高校生の時に強い印象を受けた「ヒポクリット」が80 歳をこえて見えてきたことが面白く書き留めることとした。しかし偽善者個人名を出すと差しさわりがあるため抽象的になったが、想像していただければ幸いである。