旅ゆけば~旅来れば

片瀬範雄

 世の中、右を向いても、左を向いてもインバウドの皆さんで溢れかえり、一時の爆買は少なくなったとはいえ、観光地も飲食街も商店街でも、彼らに合わせた商戦を見受けます。京都駅から伏見駅まで外国人で電車は満員。伏見稲荷神社の境内は日本人を見かけるのに苦労するほどの伏見区の防災研修で、災害時に彼らへの対応をいかにするかと「クロスロードゲーム」を使って議論がなされ、私も海外への団体旅行の際の行動を思い出しながら複雑な気持ちでコメントをしたものです。

 そのような人気の海外旅行ですが、私にとって特に印象に残っている旅があります。1999年9月21日にマグニチュード(Mw)7.6の台湾中部で発生した「集々大地震」の1カ月後に、わが街も備えの拡充をしなければと、北回帰線の通る「嘉義市」からの要請を受けるかたちで、阪神・淡路大震災の体験を語りに台湾に行きました。

 空港から被災の大きかった台中県内を視察しながら嘉義市に向かうバスの中、彼らの携帯電話に興奮した応対の声が響き渡りました。ただならぬ様子に何事かと通訳の方に聞くと、嘉義市が震度6程度の地震に襲われていると返事が返ってきたのです。私たちは被災地調査を中止して嘉義市への進路変更を申し出ると、「お客さんに失礼なことはできない」との返事に、日本人びいきの台湾の人たちの思いの強さを垣間見ました。

 翌日は予定外の嘉義市内の被災状況の調査と事後処理のアドバイスで一日中走り回りましたが、その中で地形も地質もダム構造などの全てが不明にもかかわらず、いきなり水源地の堤体のひび割れ対応を求められたのです。

 テレビカメラの前で、「日本の専門家としての意見は」と聞かれて、戸惑いながら、当面堤体に雨水が入らないようシールをすること、堤体の下部に水がしみ出していないかの調査、状況が変化した時は水位を下げる放流をすること、万一決壊した時の予防として高台避難の呼びかけなど、訳も分からぬままに語った記憶が残っています。

 システムが異なり技術者が役所には居ない、コンサルタントも市内に居ない中での質問であったと思いますが、その後の連絡で異常がない旨を聞き、安堵しました。

 また、「集々大地震」の復興について台湾政府から5人の職員が神戸へ学びに来られ、制度や考えの異なる中でどこまで通用するか分かりませんが、神戸の様子を伝達しました。その縁で台湾政府から派遣された3人の女性陣や嘉義市の方たちからは、復興の様子の視察に招かりたり観光案内を受けたり、いまだに交流は続いています。その際、我々に対して食事の接待から、持ちきれぬほどの土産と歓迎を受けています。

 甘えてばかりではいけないと、女性陣4人を招待。自宅に泊め、有馬温泉、六甲山、市場での買い物など観光案内は当然として、彼女たちに一番喜ばれたのは、着物を試着して神戸の街を歩いたことや茶道の真似事など、やはり日本の文化に触れたことだったようです。                   (次号に続く)


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