主張

2025年大阪万国博覧会への疑問-成功に導くには-

平峯 悠

  2025年の万国博覧会に大阪が立候補すると言う。55年前の日本万国博は入場者数約6500万人、世界最大の万博となり大成功であった。当時大阪府から万博協会にも出向し、会場計画、関連事業に携わった経験からその成功のカギと2025年万博への提案をしたい。

●基本テーマと開催の意義:1970年(昭和45年)万博の基本テーマ「人類の進歩と調和」は日本のみならず世界でも高く評価された。博覧会招致に動き始めた1963年茅誠司氏、桑原武雄氏など日本を代表する“知の巨人達”が参画した誘致委委員会により提案されたもので、その背景としては、20世紀の技術の進歩は世界を大きく変えたが、それにより引き起こされた社会の矛盾にも人々は不安を持っていた。ベトナム戦争後の混乱、年間1万人を超える交通事故死者や環境汚染、原子力導入への不安などから、文明の進展と人間社会のあり方という普遍的テーマとして受け入れられた。今回「健康・長寿への挑戦」から「いのち輝く未来社会のデザイン」に修正されたが、このテーマは島国で平和に慣れきった日本の独りよがりではないのか。世界では民族・宗教対立が激化し、文明の衝突が現実になり、多くの人が犠牲になり混沌とした状況で出口が見えない。「いのち輝く」は抽象的で、また、目標を喪失している現代社会の中でどのような未来社会をデザインできるのか。具体的で心に響くサブテーマを示す必要がある。

●開催場所と会場計画:EXPO’70の会場選定に当たっては、大阪市は南港を、神戸はポートアイランド、滋賀県も琵琶湖周辺を候補地として誘致を競った。交通条件や発展の可能性に加え、当時水面下で囁かれていた関西州構想の中心が千里丘陵付近であったことが決め手になった。結果的に国土軸として千里文化が花開いた。場所選定が適切であったことが成功のカギでもある。2025年の開催地南港夢洲で成功するには、大阪湾全体を見つめた広域的な構想を打ち出さねばならない。アクセスが一方向であり大阪市の「端(はずれ)」の印象は否めない。大阪府域、兵庫、和歌山からの関心は薄いものとなろう。大阪都構想が道州制をめざすなら「海」とその広がりを意識した広域的な地帯構想が不可欠である。

  千里万博の会場計画は、前半を京大西山卯三氏、後半は東大丹下健三氏が担当したが、その計画理念や考え方は黒川紀章、菊竹清訓、磯崎新氏など世界的な建築家を育てた。また発足したばかりの「交通工学研究会」が交通問題とスムーズな会場運営を支えた。2025年万博にも建築系、都市基盤系はじめ多くの人たちが参画し、議論する場とならなければ成功はおぼつかない。「計画する」ことの面白さをアピールする必要がある。

●支える人材等:2025年万博招致の経過を見ると、カジノによる跡地利用など目先の経済活性化の手段に万博が利用されているようにしか見えない。テーマ検討委員会も大阪府や役人主導であり、多くの人達の関心外になっているのではないか。千里万博は通産省の若手エリート官僚池口小太郎氏(堺屋太一)が国内および海外を取り仕切り、会長には石坂泰三という大物が就任、関西財界の芦原義重氏、堀田庄三氏、近鉄中興の祖佐伯勇氏始め私鉄のトップが集結した。会場運営では梅棹忠夫氏、小松左京氏が腕を振るったが、その後はその門下生達が大きく羽ばたいていった。あらゆる分野の人達の情熱と躍動が千里万博を成功に導いた原動力であった。2025年大阪万博は、基本テーマでパリに勝ったうえで、多くの人材特に意欲を持つ若手を登用し、関西全域での地帯構想を策定、それを会場計画に反映させるとともに、関連事業や産業による活性化を図ることが肝要である。特に大阪から流出した人材や企業を呼び戻し再び活躍できるきっかけとなることを願う。



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