REPORT

~STUDY21 2015年度研修旅行~

駿河・遠江遠征記

  昨年は「熊野地方の地形・地質と自然崇拝」をテーマに南紀を回った。自然の造形の偉大さに圧倒され、それを崇拝する気持ちがそこはかとなく湧き上がってくる様子が理解できた。今回も修験道と地形・地質をキーワードにして、駿河・遠江をフィールドに選んだ。ここでは、江戸時代、伊勢参りに次いで参詣者で賑わった秋葉神社と、中央構造線とも関係する秋葉街道について記してみたい。

◇行程:車にて周遊
《11月12日》淀屋橋→大崩海岸→登呂遺跡→久能山東照宮→寸又峡(泊)
《11月13日》寸又峡→長島ダム→秋葉神社(下社、上社)→佐久間ダム→水窪(泊)
《11月14日》水窪→長篠古戦場→中央構造線長篠露頭→鳳来寺→方広寺→本町
◇参加者:今中、小山、中尾、小西(文責) 

   初日7時半、、小山さんの車で淀屋橋を出発。天気良好。久能山東照宮に参詣し、身延山地を山越えして寸又峡に到着したときにはすっかり日が暮れていた。

  2日目。この日は、赤石山脈の最南端に位置する秋葉山へ国道362号で山越えし、さらに秋葉街道を県北まで詰める日だ。大井川から離れ樹林を縫って登っていると急に視界が開けた。足元と向かいの斜面には茶畑が広がっていて「天空の茶産地川根(標高408m)」の看板が目に入った。川根茶は宇治茶、狭山茶と並ぶ3大銘茶とされている。分水嶺を越え天竜川流域に入る。蛇行を繰り返す気田川に沿って下り、国道から別れ秋葉橋を渡ると秋葉神社下社だった。

●秋葉神社 「火をほふる神」の威光感じる


秋葉神社下社 十能

秋葉神社上社

  拝殿は40cmほどの楕円型の川石を積んだ階段を上ったところにあり、すぐ横に高さ4mあまりの巨大な十能(右、写真)が寄進されていた。消防・調理師など火を取り扱う仕事の関係者や庶民に「火をほふる神」として崇められてきたことが、伝わってくる。下社から750m高いところにある上社まで尾根伝いに歩くと90分強とのこと。我々は天竜川に沿って進み、最後7.5kmは平均斜度10%の遠州一の激坂を経由して車でも40分かかった。山そのものがご神体山として崇敬されているが、本殿への石段の上には黄金の鳥居がそびえ立ち、振り向くと後ろには浜松市街とそれに続く遠州灘が広がっていた。清流の傍の下社にたどり着いた後、さらに長く険しい参道を登って山頂の上社に至る。そのしつらえに「火をほふる神」の強い威光を感じた。

  江戸時代には、数百万の信者が3万余の講を組織し、その分布は、静岡、愛知、山梨、長野南部、岐阜の美濃側を中心に関東、近畿にまで及んでいたという。秋葉神社と鳳来寺、さらには伊勢神宮とを合わせ巡ることも盛んであったらしい。因みに火防の神に対する信仰としては、京都の愛宕信仰も江戸時代中頃から修験者によって広められ、東北を中心に約900の愛宕神社が分布している。愛宕神社の主祭神は伊弉冉尊(イザナミ)であり、秋葉神社の主祭神である火之迦具土大神の母である。

●中央構造線の地質活動が生んだ道

  また、秋葉山へ向かう秋葉街道は、掛川宿、浜松宿、御油宿、信州からの経路があり、東海道の関所を避ける間道としても使われた。なかでも、遠州灘から秋葉神社さらに諏訪湖を結ぶ道は「遠信古道」と呼ばれ、古代から塩の道として、また武田信玄が遠州侵入の際に南下した街道でもあった。それは中央構造線の地質活動が生んだ道であり国道152号の元となっている。

  途中佐久間ダムに寄り道したが再度その国道に戻り、水窪川に沿って遡る。信濃との国境の青崩峠まであと少し、せせらぎの聞こえる川沿いの宿に着いた。現在国道152号の青崩峠は、破砕帯上に位置するため、トンネル掘削が困難とされ不通区間となっている。

●佐久間を経て長篠城址など目指す

◇中央構造線長篠露頭

所在地:愛知県新城市長篠字古渡15番地
説明:長篠露頭は、外帯の三波川変成帯の結晶片岩の上に、内帯の領家変成帯の花崗岩源圧砕岩が衝上し覆いかぶさっている様子がよくわかる断層です。
外帯:中央構造線の北側(日本海側)
内帯:同南側(太平洋側)

(新城市指定文化財説明看板より)

  3日目は朝から雨。青崩峠行きは中止し、佐久間を経由しJR飯田線に平行する国道151号で長篠城址を目指す。中央構造線長篠露頭は、長篠城址の西方、豊川の右岸にあった。外帯と内帯とがはっきり区別できて、途方もない地殻変動が起きたことを実感する。しかもそれが今朝通ってきたルートからさらに西、紀ノ川、吉野川、天草へと続いていることを思い、一層その感を強くした。

  長篠古戦場、蓬莱山寺、そして分科会の主査から追加提案のあった方広寺を回り夕方に帰着した。走行した距離は850㎞となっていた。


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