主張

リーダー論再考

平峯 悠

  地域デザイン研究会では「まちづくりの方向」や「社会経済システムの在り方」を模索する中で、国や地域におけるリーダーの重要性を主張してきた。これまでのシンポジウムやフォーラムを通して多くのユニークで優れたリーダーに出会うことが出来た。智頭町を10年以上先導してきた寺谷町長、彩の里で有名になった上勝町の笠松町長、老舗旅館を経営する西村元城崎町長、女性の市長として活躍された白井尼崎市長などはリーダーと呼ぶにふさわしく、信念と信頼に値する行動で大きな成果を挙げてこられた。

 一般的にリーダーに求められる要件は、①能力がある、①信頼される、③知恵を有する(賢いこと・見識がある)、④愛情があると考えるが、例えば、二大都市圏のリーダーである東京都猪瀬知事は傲慢さもあり論外。一方、希代の発進力を持つ橋下大阪市長は少し不用意な(賢くない)言動が多い。そのことが信頼を損ね、支持を低下させる原因になってしまう。また日本各地の首長や国の政治家が行財政改革や公務員改革を掲げているものの、公務員や公共事業費を削減することに終始し、その結果が東北大震災の復興のインフラ整備の人材や資材の不足、建設業者の急減による復興の遅れにつながり、全国的にも毎年襲ってくる災害への対応にも影響が心配される。さらに公と民のあり方の十分な検証もなく、民間にシフトすることの弊害も懸念される。これらは世の中を見通す「大局観」や「計画性」が欠如していることにある。見識や知恵が足りないと思う。

 一方そのリーダーの下、国・地方自治体という枠の中で活動し生活している国民および市民・住民の側に問題はないのか。第二次大戦敗北後、日本では権力、特に政権やそれをサポートする官僚組織を批判することが正しいとの考えが浸透しているようで、色眼鏡で見ることが厳しい立場、清潔で正しい、そのようなスタンスのコメンテーターを意図的に重用するマスコミの風潮は気になる。特に経済問題や外交においてその傾向が強い。例えば、アベノミクスは限界があり、一般の住民生活に直接的なプラスがない、中小企業には恩恵が及んでいないというだけで、首相や政府の政策を失敗と批判するのは無責任である。私たち国民は自助努力し、自らが地域・国とともに懸命に努力するのが当たり前。なんでも国のせいにしてどうするのか。さらに教育・福祉・交通問題においても、自らの行動や対応を棚に上げて、なにかにつけ政府・行政を批判するのは少し違うのではないか。

 成熟社会になればなるほど、国民・住民および企業は豊かな日本をつくるため政府・行政、地域との役割分担を意識しながら共に進んでいかねばならない。個人や小グループが出来ないことを政府がカバーするという「補完性の原則」を再認識すべきであり、そのことが真の地方分権とも密接につながってくる。各地の先進事例はそのことを明確に示している。 国土や地域は私たち個人の「家」と同じように常に点検し、修理し、部品を取り替え次の世代へと伝えていくことが必要である。国土の保全と維持、経済的な成長、安全安心の確保、リニューアル、技術の継承等がこれからの重要なテーマである。即ち公共領域の充実が求められ、国民・住民全ての課題である。

 大衆が最後まで支持するかどうかは、その人が支持するに値する権力者であるかどうかであるという。「あの人に任せておけば先ず間違いがない」と言われようであれば信頼関係が確立されているということであろう。このことは国のトップである首相、地方の首長、民間企業のトップおよび多くの組織の長、全てに共通する。このようなリーダーが増えることを改めて期待したい。


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