主張

災害と土木

中尾恵昭

 最近、 最近、震災後の東北を巡る機会を二度得た。

 石巻……旧北上川河口部の整備、石巻港の復旧、災害廃棄物処理事業、小学校等の被災

 東松島…野蒜と大曲地区の集団移転やJR仙石線の復旧

 女川……災害公営住宅(3F建)、中心市街地の惨状、漁村集落移転、CM方式復興事業

 名取市閖上の被災、仙台湾南部海岸復旧、防潮堤の役割を果たした仙台東部道路など

 震災後一年半が経過し、現地は一見整理がついているように見えるものの、至るところ悲惨な状況が残っているのが現状である。しかしながら被災地では東北人のひたむきで真摯
な心情、姿が垣間見え、元気をいただいた感がある。

 近年、列島は東北の大震災をはじめ、紀伊半島の台風、九州北部豪雨など自然の脅威にさらされており、土木技術者としては心を痛めながらも大きな関心を抱かざるを得ない。

 一旦災害が起これば行政、建設業者をはじめとする土木技術者がいち早く現場に入り、道路・港湾をひらき、河川を修復することに責務を感じ、事業を遂行してきた。それはあまり表に出ない仕事である。もとより土木は元々脆弱な日本の 国土を保全するため、黙々と着実に仕事をすることをもって 志・使命を遂げ、それで達成感を得てきた。それとともに自然をおそれ、崇め、それを活かし一体化して、謙虚に自然の摂理に合ったものづくりをしてきた。それが土木のしてきたこと、土木の仕事であって、決して自然と対峙してそれを克服してきたものではないはずである。それがいつの間にか不遜にも自然を征服するかのごとく技術で抑え込んできたと思い過しをしてきた感がある。昨今の巨大災害といった自然の脅威はその考えを打ち砕き、警鐘を鳴らしたものであろう。もはや土木技術者は自信を失いかけているかに思える。

 規模や様相が多様で予見できない災害の現象に対して、どう向き合うのか。ハード・ソフトまた、社会、個人の両面でどこまで対応できるのか、するのか、に答えを出さなければならない。また、今後の多様な災害に対応する施策に対する住民の「基本的合意」をどう取るのか。非常に難しい議論となろう。

 ここで、これを考えるにあたって土木にとって元気の出る文献を二つ引用したい。

 一つは明治時代、工部大学校のヘンリー・ダイアーの言葉「エンジニアは社会発展の原動力である」という考え方であり、「そのためには、技術力だけでなく、社会的な要請に応えられる素養がなくてはならない。エンジニアは真の革命家であり、市民の精神的福祉を向上させることが肝要である」。また、こうも言っている。「どれだけがんばってきたかではなく、これからどれだけのことがやれるのか」

 二つ目は土木学会初代会長古市公威の就任演説で、「土木技術者は『指揮者を指揮する人』『将に将たる人』たらねばならぬ」そして土木学会会員に「研究の範囲を縦横に拡張せられんこと」「その中心に土木あることを忘れられざらんこと」と訴えた言葉である。まさにこれの意は、土木は数多い技術の中での連携の核、コーディネーターとしての責務を持たねばならないということである。 元来、自然は時には脅威となりつつも、それとともに人類にとって限りない恵みを与えてきたものであり、先に述べたように土木はそれと一体となり、むしろ先人たちは自然を取り込み活用して営々と生活基盤を築きあげ、社会を支えてきたのである。永年にわたり幾度かの課題を解決し、困難を乗り越えてきたのである。

 今こそ土木技術者は震災の復旧・復興やこれから起こりえる災害に対し、思考停止にならず、技術者間や他職種・分野と情報を共有するとともに連携を図る核とならねばならない。そして各々が営々と培ってきた想像力を持ってその(最適)解を賢く描き、情報を開示しながら着実に施策を推し進めていく“エンジン”にならなければならないと考える。


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