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私と鉄道との関わりと大阪の鉄道計画

多田英司


ジオラマと筆者

 私は、昔から鉄道が好きでした。父が国鉄マンで小学校まで国鉄官舎で育ち、物心ついてからの最初の誕生日プレゼントが鉄道模型でしたし、現在も鉄道模型が趣味で、ジオラマなども製作しております。

 大学はさすがに鉄道関係ではなく都市計画・交通関係ですが、大学卒業後の最初の就職先が大阪市交通局、その後、関西高速鉄道や鉄道機構(旧国鉄清算事業団)に出向したりして鉄道に関わる仕事が多かったです。大阪市を退職した後も、阪神電鉄に再就職するなど、非常に鉄道に関係してきた人生となっています。

 そのような中で、大阪市時代に運輸政策審議会答申第10号の作成に関わったことから、大阪の鉄道計画の歴史について少し触れてみます。

 大阪の鉄道の歴史は、明治から始まります。明治7年、9年に現在の東海道線が整備され、明治時代中頃に環状線の北側や阪神電鉄、阪急電鉄など梅田の根幹となる鉄道が整備されました。このときの鉄道整備は、それぞれ事業者の思惑によって計画が立てられ、国の許可を得て建設されました。

 昭和に入り、都市が発展し人口集中が進むと、さらに鉄道の重要性が増し、都心部に乗り入れようとする鉄道事業者が増え、都心部で公営鉄道と私営鉄道の競争が激しくなってきました。これは東京でも同じであり、国は、大都市圏での鉄道整備計画を作成することによって、鉄道の許認可における混乱を整理しようとし、昭和30年に「都市交通審議会」を設置して、その答申第1号として東京圏の鉄道網整備計画が発表されました。

 大阪圏の最初の答申は、昭和33年の答申第3号で、その後の大阪の鉄道整備はこの答申に基づいて行われてきました。

 もちろん、鉄道整備は長期に亘るため、社会情勢の変化や都市の変化に対応できるよう、定期的に以下のように新たな答申が出されてきました。

※1:審議会の名称が変更となった。
※2:都市圏レベルの答申の他、広域レベルの答申がつくられるようになり、大阪圏に関わる最新の答申である。

 運輸政策審議会答申第10号の策定経緯についてはいろいろありますが、また機会があれば述べさせてもらいます。


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